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誕生会
小麦粘土をつくります
園でのすがた
すみれぐみです
すみれぐみです
子どものすがた ②
子どものすがた
北海道 最終回
2013年06月23日
とうとう来ました最北端。宗谷岬です。

流氷展示室
家々の玄関は積雪でドアが開かないので二重になっています。表札も内側にかけてあります。

各家の庭は砂利を敷き詰めてあります。なぜ?。7月解禁になる昆布を干すために砂利にしてあります。

稚内空港~羽田空港~鹿児島空港で帰ってきました。撮った写真の一部を紹介しました。
流氷展示室
家々の玄関は積雪でドアが開かないので二重になっています。表札も内側にかけてあります。
各家の庭は砂利を敷き詰めてあります。なぜ?。7月解禁になる昆布を干すために砂利にしてあります。
稚内空港~羽田空港~鹿児島空港で帰ってきました。撮った写真の一部を紹介しました。
Posted by 先生 at
16:48
北海道 ③
2013年06月22日
偶然、エゾ鹿に出会いました。

「寝棺」と書いてありました。徳川時代に蝦夷の地の警護を命じられた会津藩の人たちが極寒のなかで寝るときは、木箱の中にワラを敷き、その上に布団を敷き、木の蓋をかぶせて寝たそうです。
>礼文島に咲く「セブンアツモリソウ(何故か平野敦盛に由来しているそうです)」ここにしか咲かない花で、盗掘を防ぐために見張り人がおられました。
ウミネコの楽園(産卵と子育ての地
間宮林蔵が間宮海峡発見・樺太渡航に出発したところですが、教科書で習って、久しくこの方の名前を思い出すことはありませんでした。懐かしい。
「寝棺」と書いてありました。徳川時代に蝦夷の地の警護を命じられた会津藩の人たちが極寒のなかで寝るときは、木箱の中にワラを敷き、その上に布団を敷き、木の蓋をかぶせて寝たそうです。
Posted by 先生 at
09:32
北海道 ②
2013年06月21日
納沙布岬の灯台 日本で2番目の高さだそうです
稚内の街
アルメリアの花がきれいでした
この記念碑は終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊のために建てられた。北緯50度線でソ連と国境を接していた樺太では、1945(昭和20年)8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け、島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険のなか、真岡郵便局の女性電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが『交換台にも弾が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん・・・さようなら。長くお世話になりました。お達者で・・さようなら。』のことばを残し、青酸カリを飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、9月20にちのことでした。という碑の説明がありました。ちなみに私の生まれた翌日のことです。
稚内の街
アルメリアの花がきれいでした
この記念碑は終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊のために建てられた。北緯50度線でソ連と国境を接していた樺太では、1945(昭和20年)8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け、島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険のなか、真岡郵便局の女性電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが『交換台にも弾が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん・・・さようなら。長くお世話になりました。お達者で・・さようなら。』のことばを残し、青酸カリを飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、9月20にちのことでした。という碑の説明がありました。ちなみに私の生まれた翌日のことです。
Posted by 先生 at
11:25
お久しぶりです
2013年06月21日
台風4号の接近です。ご注意ください。昨夜、北海道旅行から帰ってきましたが、一日遅れたら台風の影響で帰れないところでした。もう寒かったです。

ホテルから見た旭川市内です。山には雪が見えます。

牛の放牧風景ですが広さが違います

JR最北端「稚内駅」です


南極越冬隊の建物と雪上車です

以下、次号に続く
ホテルから見た旭川市内です。山には雪が見えます。
牛の放牧風景ですが広さが違います
JR最北端「稚内駅」です
南極越冬隊の建物と雪上車です
以下、次号に続く
Posted by 先生 at
04:20